自然に感謝
某センターで行われました自然を考えるみたいな会に友人に誘われて行きました。
案内さん(医師)のナレーションと歌で感動しました。
いろんな国の状況を紹介する催しで、紛争地や災害地、貧困地での医療活動や心に傷を負った人たちのケアを続けながらそのとき感じたことのありのままの状況を話してくださいました。
日本はそんな国に比べるととても平和で幸せです、確かに失業、いじめ、虐待、などさまざまな問題が沢山あったり日の目を見られない方もおられるかもしれません、しかしまだまだ日本は平均的に豊かだと思われます。
子供さんは別としても本人の意識しだい(意識改善は確かに困難であるが)で何とかなるんじゃないかと思うような事柄が多いように見受けられます。
もちろん働きたくても家族の事情があるかたもおられるでしょう、本人の事情の場合もあるだろうと思いますが、そのような人以外は贅沢を言わなければ自力で就職や、生活は(ギリギリでも)できるように思います。
と言ったなら世の中を知らないと言われるかもしれません、私自身がそのような苦境に立たされたときに前向きに考えられるかと言われれば自信は薄れるかもしれませんが少なくとも今は前向きに考えられると思います。
私は農業で少し収入を得ていますがもちろん贅沢は出来ないです、仕事もむつかしいです。植物は正直ですし手を抜けばそのまま跳ね返ってきます、手塩にかけて育てても天候にかなり左右されたりします。不作になれば生活が左まえになるかもしれませんし大豊作でも作物が安価になりすぎて経費が上回ってこれも考えものです、
天候に対して保険をかけていますが掛け金も高いですし保障は肥料代くらいでほとんどないといっていいくらいでいつも不安がついてまわります、しかし、他では味わえないやりがいや充実感はあります。
楽しいかといえば語弊がありますが、自己満足はしています。
世界の災害地や貧困地では明日餓死するかもしれない状況が目の前にあり腐りかけた食べ物でもかまわないという状況が日常にあります。
これが日本では、まだまだ食べられる物でも捨てられていることが多く食物に感謝の念が少ないように思うことが少なからず見受けられます。
私が農業に携っていることで意識過剰になっているのかもしれませんが、あえて極論を言いますと米一粒でも約半年の時間がかかっています、何度も手を加えています、毎日最大の難関である天候とも戦っています、農業を豪物化するつもりはありません、基本は買ってもらえるために栽培しているんです、買ってもらえるから続けさせてもらえるんです。
腹いっぱいなら残してもいいでしょう、腐りそうなら捨ててもいいでしょう、自分の金で買ったからどうしようが勝手だと言う人もいるかもしれません、でも、しかし、どうしようもなく捨てる場合には少なくとも天・地・人せめて天・地には感謝の言葉を掛けてから処理していただきたいなと、私も満ちてるときはなかなかこんなことは思わないかもしれないのでしょうが・・・自分に言い聞かせるように・・・このようなことが脳裏を過りました。


コメント